●更新日 2013/03/26


●実際の生出・赤石地区の歴史など色々な資料に基いてまとめました。是非ご覧下さい。

『赤石の昔』001号【創刊号】

日ごろ見落としてしまいがちな、自分達の住んでいる町の名所・旧跡を、これからご紹介して行きます。


●奥州三箇森【北赤石】●茂庭側より『亀ケ森』・『中ノ森』・『鹿ノ上森』をあわせて奥州三箇森と云い。おむすびの形をした山が、三つも街道に沿って並んでいる。珍しい地形になっています。


『赤石歴史街道』


●赤石には旧石器時代から、人間の暮らしが息づいている。やがて時代とともに、村が生まれ、人が行き交い、物資の往来が始まった。その舞台となったのが街道である。

●赤石の大きな街道は二つある。山形との往来に欠かせない『二口街道』と『笹谷街道』である。街道は時代とともに姿を変え、道筋を変え現代へと続いている。なかでも、赤石の歴史と文化を色濃く映し込んでいるのが『二口街道』。長町から根岸・鹿野・西多賀・鈎取・茂庭・赤石・湯元・長袋・馬場・野尻・二口と続き、『笹谷街道』とともに赤石を東西に貫く。

●忙しい現代とは趣を異にする古びた街道。ところどころに残る歴史の遺産を垣間見ながら、過ぎ去りし街道の面影をたどってみようと想います。

●太白山の麓から北赤石へ、旧街道の面影をたどる。

●旅の安全を祈った道祖神、旧街道沿いに秋保電鉄の跡。住宅団地やバイパスの整備が進み、急速に装いを変える生出・茂庭地区。大正時代から昭和36年ごろまで、長町と秋保を結ぶ秋保電鉄が、旧二口・笹谷街道に沿って走っていたが、その路線の一部が、今も当時に近い姿のままで残っている。

 とくに、赤石採石場へ行くあたりは、昔ながらの街道をほうふつとさせる道が続く。未舗装の細い道路、木立の中で見失いそうになる道祖神。かつて二口・笹谷街道を行き来した人々は、この道祖神に立ち寄り、旅の安全や郷里に残した家族の無事を祈ったのかもしれない。昔の旅は、現代では想像もつかないほどの危険に満ちていた。

 古来の姿を思い浮かばせる街道は、赤石橋近くまで続く。眼下には国道286号線。現代との対比が際立つ。

●太白山を望み山形へ、宿駅・赤石で馬を休める。地域的には現在、赤石は茂庭に含まれる、そして住居表示的には、北赤石は茂庭に南赤石は坪沼に属している。これは珍しい事で、同じ赤石地区なのに、それぞれ違う住所(大字)を持つことになる。とくに地区名である『赤石』の文字が出てこない不思議な地区なのです。これは東西に名取川が流れている為。北と南に分かれたのだと想われます。本文章では北赤石までを、ここで紹介して、南赤石から坪沼は次項に譲ることにした。

 さて、茂庭は、太白区のシンボル・太白山を抱える地域。文治5年(1189年)、源頼朝の奥州攻めに従軍した河村四郎秀清が武勲により、この地を賜ったと伝えられる。以来、この地に館を構え、『茂庭氏』と称した。

 茂庭は二口・笹谷街道に加え、作並街道に至る道もあり、古来より交通の要所だった。現在、バイパスが整備されてから風景は一変したが、旧国道沿いに残る供養碑から、周辺に街道が通っていたことが分かる。

 さらに、ここから山形方面に進めば、まもなく北赤石。橋の手前には、湯元へ二十五丁、碁石へ一里二十丁と刻まれた道標があり、笹谷と二口に通じる街道の分岐点を示している。道標は生出小学校赤石分校の一角に移されて残っていたものを、分校校舎移転にともない再度移動して現在の場所に置かれた。

 赤石は、鈎取に続く二口・笹谷街道の宿駅。関所も置かれ、奥州街道を出た馬や旅人は、鈎取・赤石の順に、足を休めたことになる。

●南赤石に残る旧笹谷街道、坪沼には古代の街道が…。

●橋を渡って笹谷峠へ、古代からの信仰の地。赤石橋を渡ると、すぐに南赤石。集落内には、古い笹谷街道が今も残っている。この道をたどれば、まもなく行き止まり。【補足説明:実際は行き止まりではなくて、上の堤の小林(菅野さん)と大工さん(現在は佐藤さん)の家の間を通って内城(金子さんの裏)に抜ける道が有る。この付近には登記簿上、国有地になっているところが、道筋のように伺える。考察文として記述します。】今では使う人も無く、土に埋もれている。

 集落内にある赤石観音堂は、松島瑞巌寺と山形立石寺(山寺)を創建した慈覚大師につながり、そのご本尊である十一面観音は、古刹赤石山円通寺の持仏と伝えられる。千年以上も前、慈覚大師は、この地を通って秋保に向かい、二口峠を越えて山形へ向かったのだと云う。

 北赤石にある奥州三箇森(亀ケ森・中ノ森・鹿ノ上森)をはじめ、赤石地区は、古代からの信仰の地として知られた所。一大霊場だったという説もある。信仰にまつわる遺物や伝説が多いのも、この地の特徴と云えるだろう。

●落城した安部氏の館、古代街道はいずこに。

●生出道中歌

奥州ナア 仙台ヨサンサ 旅立てばネ 昔をしのぶ五軒茶屋

広い流れの広瀬川 長い長町通り抜け 鹿野を過ぎれば金洗沢

鈎取茶屋にと腰をかけ 名取の川を眺めれば 余方の里が目の下に

人の行き交う人来田よ 難所で聞こえし かぶと岩

茂庭田圃を通り抜け 茂庭の町のにぎやかさ 八幡様にご参拝

いにしの名残り塩の瀬よ 馬尾坂越えて赤石の 清い瀬音の馬引沢

石で名高い枇杷原よ 今宵の宿はヨ サンサ 秋保の温泉場ネ

コラコラヤットコセーの ヨイヨイナー アリヤリヤアン コレワノセート

ヤーレサンノセー

※元唄は伊勢音頭。藩政末から歌われたらしい。


 現在、作成中しながらHP上で公開していますが、内容について間違いやご意見・ご質問などが有りましたら、事務局までご連絡下さい。また、こんな資料も有るよなど、情報をお持ちの方がいらっしゃいましたら、ご協力下さい。


●参考資料など

●星の街仙台 著者 稲辺勲

●市政だより『たいはく』太白区版【1999・12・15】

●DISCOVER TAIHAKU【ディスカバーたいはく】2号〜5号

2号 『太白区の街道と史跡』

3号 『太白区の伝説』

4号 『たいはく絵ものがたり』

5号 『太白区の郷愁と文化』